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<ゲーム開発者インタビューシリーズ7>

あるローカライズ・スペシャリストの「卒業」

六百デザイン/鶴見六百(つるみ・ろっぴゃく)氏


ゲームタイトルの大作化に伴い、全世界同時発売をはじめとして、ローカライズの重要性が増している。こうした中で「クラッシュ・バンディクー」「ラチェット&クランク」などの日本側プロデューサーとして、長年ローカライズを担当してきた鶴見六百氏は、業界でも数少ないローカライズ&ブリッジスペシャリストの一人だ。そんな鶴見氏が、2009年3月末で業界を「卒業」するという。その真意はどこにあるのか? 鶴見氏の経歴や、日本と海外の文化の違いなども含めて、話を伺った。


 


プロフィール/長野県出身。早稲田大学理工学部在学中より、ゲーム専門誌「Beep」において氷水芋吉名義でライター活動を始める。1989年、セガ・エンタープライゼス(当時)に入社。企画職として「マイケル・ジャクソンズ ムーンウォーカー」「スターウォーズ アーケード」「スパイダーマン」などの業務用タイトル、「輝水晶伝説アスタル」(セガサターン)を手がける。1996年、SCEに移籍し、「クラッシュ・バンディクー」「ラチェット&クランク」シリーズなどの日本側プロデューサーとして活躍。2000年にフリーランスとなり、「六百デザイン」を立ち上げる。2009年4月、ゲーム業界から"卒業"。


「六百デザインの嘘六百」(現在は更新停止)

http://www.0600design.com/


 


ゲーム業界"卒業"の理由 


 


──まずは、ゲーム業界を"ご卒業"おめでとうございます。


ははは、ありがとうございます。いやあ、"卒業"って便利な言葉ですねえ(笑)。


──ゲーム業界歴は20年以上でしたっけ?


はい。学生時代に、初のテレビゲーム専門誌といわれる「Beep」でライターのアルバイトを始めたのが最初です。大学を卒業して平成元年にセガに入社した後、体を壊したので退社して半年間放浪。1996年にSCEに移籍して、途中でSCEの社員からフリーランスになったりもしましたが、結局ゲーム業界に携わること24年。このたび晴れて、業界から"卒業"することになりました。


──昨今では「ラチェット&クランク」シリーズの「中の人」でしたね。


ええ。フリーランスの立場でSCEジャパンと契約して、シリーズの立ち上げ時から日本語版の制作プロデューサーを担当してきました。PS2で「1」から「4th」までの4本、PS3で「FUTURE」とダウンロードコンテンツの「外伝 海賊ダークウォーターの秘宝」の2本、PSPでは「5」「クランク&ラチェット マル秘ミッション☆イグニッション!」の2本をやって、それで終わりです。シリーズは今後も続くんでしょうが、私は関わりません。


──それはどういった理由から?


まず前提として、日本のコンソールゲームにおいて、一定規模以上のプロジェクト件数がかなり絞られてきていますよね。……先日も、とあるパブリッシャーの元経営者が、「以前のようにタイトルを多く出して売り上げ計画を立てるのは無理になってきた。それよりも、確実に利益が見込める厳選したプロジェクトに絞る。あるいは海外の開発力に依存する形で、ローカライズで開発コストを下げる。そんな風に、これからは日本市場のシュリンクを前提とした上で、やっていかないとダメだ」、そんな風に話されていました。


──特にPS3、Xbox360の大型タイトルでは、そうですね。


売れるタイトルに経営資源を投入し、そうでないソフトは徹底的にコストカットあるいは中止、というメリハリですよね。で、「ラチェット&クランク」も、PS2の頃は国内で相当数の実績がありましたが、PS3やPSPに移行してからは、その売り上げも何分の一かに落ちていて……これは私の推測なんですが、「ローカライズにお金をかけてドカンと売るよりも、コストを絞って効率的に利益を出そう」と、そういう経営判断があったと思うんです。それで「マル秘ミッション」が終わった時、「次回は今までの労力をかけたローカライズはやらなくてもいいから、何分の一かの金額で安くやってもらえないか」というようなことを言われまして。色々な作業形態を模索したんですが、最低限のシリーズ監修に必要な作業も「高い」と言われちゃったんで(笑)、結局折り合わず、次はやらないということになったわけです。まあそれが直接の理由ですね。


──ただゲームが大作化する中で、ローカライズの重要性も高まっているのでは? 今年のGDCでも、新しく「ローカライズサミット」が立ち上がって、熱心な議論が行われていました。


そう、そこが悩みどころだったんです。総体的なローカライズの必要性自体は、確実に高まっていると思います。なので、仕事自体には不自由しないのですが……ただ、そこで言われるローカライズって何なの?と細かく診ていくと、どうも私の目指す方向とは微妙に違うように見えたわけです。


──というと?


もともとローカライズって、アメリカ版を日本語版に直したり、あるいはその逆であったりと……いったん完成した「オリジナル版」から他言語版を作ることがミッションでした。そのうえで予算やスケジュールが決まっていたわけじゃないですか。ある意味、ローカライズ作業には時間的な余裕があった。


──海外版の「移植」という意味でのローカライズですね。


ところが最近では、全世界同時発売がプライマリミッションになってきた。それを怠ると、発売前に海外版が入ってきたり、あるいは海外でのニュースが入ってきたりと、タイトルの新規性もマーケティングプランも台無しです。しかも以前は、言語も「日英仏独伊西」など6言語くらいで良かったのが、今ではモノによっては20-30言語も求められるようになりましたよね。つまり今や、多くの言語版をほぼ同時に完成させなければならないわけです。


──以前より、要求される条件がシビアになってきた。


そう、そのためには、オリジナル版の開発と並行してローカライズしなくちゃいけない。つまり、ローカリゼーションにおける作業パイプラインを、開発チームに組み込む必要があるわけです。もちろん、それって大変な話なんですよ。アセット(テキストやサウンドなど)のデータベースをきちんと作って、作成/修正/更新を管理して、各地域の担当者にオリジナル言語版のデータを供給して、戻ってきた各言語データを間違いなくデータベース化して……。コンパイルの際に付けるオプションを変えるだけで、各地域向けのビルドが瞬時にできる、ぐらいまでやらなきゃならないわけです。マネジメント面でもテクニカル面でも、大規模かつ困難なミッションだけれど、それをやって「全世界向け」のタイトルにしなければ、大型プロジェクトは立てられないのが、まあ昨今の状況です。


──ローカライズも含めた「大型プロジェクト」ということですね。


それに加えて、単に言語の翻訳に留まらない、さまざまな地理文化的な問題が発生しますよね。たとえば日本だと四本指のキャラクターは文化的にまずい、とか。同じような問題が、アメリカにもありますし、ドイツにも多いし……まあどこの国にもあります。暴力表現、性表現、宗教表現、その他モロモロ……その膨大なネガティブ要因を潰すだけでも、大変な手間になる。ひょっとしたら、テキストやサウンドの修正だけでは対応しきれないかもしれない。なので、各地域のプロデューサーは、そうした地理文化的な情報を、いち早く開発チームに伝えていかなければならない。

GDCでローカリゼーションサミットが開かれた背景には、こうした問題意識があると言っていいと思います。一口に言えば、ネガティブ要素を潰して、発売できるようにする「基本ローカライズ」ですね。大規模な全世界プロジェクトにおける基本ローカライズの必要性は、非常に高まっていると。


──その通りです。


でも……ここからが本題なんですが、「ローカライズとは、ネガティブ要素は減らすだけで良いのか?」──それこそが、「クラッシュ・バンディクー」以降、私がSCEで取り組んできたことです。よりきめ細かな現地化のために、各地域に向けたポジティブ要素というか、何らかのクリエイティヴを加えていくべきではないか、と。


──ローカライズではなくて、カルチャライズということですね。


まさにそういうことです。「翻訳(translate)」の先のレベルが「現地語化(localize)」だとすれば、「現地文化への適合(culturize)」は、そのまた先のレベル。たとえば「クラッシュ・バンディクー」のシリーズは、カルチャライズの成功例に挙げてもよいと思いますが、あの当時クラッシュを遊んでいたファンの大半は、あのソフトがまさか海外の、ロスアンゼルスで作られているとは思ってもいなかったわけです。内幕を知らないライトユーザーのほとんどが、日本国内製だと思っていた。


──確かに「クラッシュ・バンディクー」には、洋ゲー臭さがありませんでした。


先ほど、ローカライズにおける作業パイプラインやデータベースなどの「システム」についてちょっと触れましたが、「クラッシュ・バンディクー」を作ったノーティドッグも、「ラチェット&クランク」を作ったインソムニアックも、非常に早い段階から、こういったシステムを構築していた会社です。でも、彼らの全世界での成功要因は、そのシステム自体にあったというよりも、「そのシステムに入りきらない各地の要望を組み入れていったこと」これが大きかったと思います。そして、そのために日本からの要望を「具体的に組み入れられる形でのアイディア」として提供することこそが、私がこれまでやってきた、そして私が大好きな仕事なんです!

ところが、「全世界同時発売」を目指せば目指すほど、システムから外れた要素は入れにくくなってしまいますよね。殊に、今や世界市場の中で、日本市場の存在感は相対的に小さくなっている。そんな島国の小さな市場のために、手間のかかるプラスのクリエイティビティを入れていくなんて有り得んだろう、と。それが昨今の状況。まあ一口に言えば、私がいちばんやり甲斐を感じる仕事がやりにくくなってしまった……だから辞めたんです。


──ただ、他の企業で仕事をしてもいい。


実際、色々な方向を検討しました。「マル秘ミッション☆」の仕事が終わった後、去年の秋以降はあまり仕事をしないで、貯金を食いつぶしながら色んな人と会って話して、これからどうしようかと考えていたんです。地方のゲーム専門学校から講師のお誘いも受けたり、逆にこちらから乗り込んで面接に行ったり。アメリカで仕事をするなんて話もありました。

ただ何にせよ、次の仕事に身を投じたら、この先10年それにかかわるわけですよね。となると、10年以上食える仕事じゃなきゃイカン。でも、日本のゲーム業界ってこれから10年保つの? と疑問を持っちゃった。ゲーム以外の業界も視野に入れて検討しないと、10年後には野垂れ死ぬぞ、と(笑)。でも何の仕事でもいいわけではなく、自分のスキルが生かせない分野だと収入も下がっちゃうので、それもまずいわけですが。


──鶴見さんなら、どこでも大丈夫だと思いますが(笑)。


いちばん好きで、なおかつ得意なのは、子供向けのゲームなんですよ。それも、コロコロコミックさんと一緒になって盛り上げていくような、男の子を軸としたファミリー向けのタイトルですね。でも残念ながら、任天堂さん以外は子供やファミリーに顔を向けていない。極論すれば、業界のみんながみんな「元ファミコン世代の三十代」の購買力に頼っているというか「媚びている」。新規開拓を諦めて、お得意様向け商売しかしていないように見えるわけです。それってどうなのよ、と。もう糸色先生の気分ですよ、「大っきなお友達向けの商売しかしていないゲーム業界に絶望した!」と(笑)。


──なるほど(笑)、それでどうされたんですか?


大っきなお友達に媚びて小銭をもらうくらいなら、逆に思いっきり大人向けのエンタテインメントで稼いでやるぜ! と思い……某パチンコメーカーに転職することと相成りました。フリーランスからも"卒業"です。


──えーっ!? 次はパチンコ業界に行かれるんですか? でも鶴見さんらしいというか。


実は以前から、パチンコ業界は研究していたんですよ。そしてたまたま某メーカーの人と会ったら、その場で人事部の人まで呼ばれちゃって(笑)。トントン拍子に決まってしまいました。


──早っ!


それと同時期に、とあるゲーム会社の知り合いから、今までやってきた仕事の延長線上のような部署へのお誘いもあったんですが。ホントに鼻の差で決まってしまいました。もっとも、今後の「大人向け」ゲーム業界だと、自分がやってきたような、子供向けワールドワイド・タイトルなんてのは難しくなるでしょうから、後悔はしてませんが。


──なるほど。


パチンコの「電飾と音楽を活かした演出」というのは、アーケードゲームで育った人間からすると、胸躍るモノがありますからね。特に私は、子供の頃からピンボールに夢中でして。「人生のベストゲーム」トップ10には、スティーブ・リッチーという人が1980-90年代に作ったウィリアムスのピンボールが3つも入ってるぐらいです(笑)。あれは音楽も先進的で……(以下、ピンボールのマニアックな話なので略)。




「クラッシュ・バンディクー」への道 




──「子供向け」タイトルのローカライズに関わるようになったのは、「クラッシュ・バンディクー」からですよね。それまではセガにいらして。


そうですね。


──SCEに移られた時って「クラッシュ」に参加することが決まっていたのですか?


いや、そうじゃないんです。それにはセガ時代の話も手短にする必要があるんですが……。細かい話で、おもしろくないと思いますが、いいですか?


──どうぞ、どうぞ。


先にも言ったように、私はもともと学生時代から「Beep」でゲームライターをしていて……そのときセガへ取材に行ったのが縁で、その場で人事が呼ばれて、就職活動もしないで入社が決まってしまったんですが……そういや俺、今回も含めて、人生で一回もまともな就職活動ってしてないな(笑)。


──ははは(笑)。


それでアーケードの開発、当時はまだ第一研究開発部と言っていた部署に配属されて。当時の課長が後にセガの社長にまでなった小口久雄さんで、副部長が「ファンタジーゾーン」を作った石井洋児さん。そこで処女作として「マイケル・ジャクソンズ ムーンウォーカー」をやって、「スター・ウォーズ」をやって、「スパイダーマン」をやって……今から考えるとアメリカ版権のキャラモノばかりですね。


──確かにそうだ。


だいたい、大学出たての新人に、「マイケル・ジャクソン」のアクションゲームを、それもほとんど新人のチームで作れってのが無茶ですよね。当時はメールなどなかったものですから、必要な内容は海外コンシューマ部の人に訳してもらって、FAXでやりとりをしていました。マイケルの細かい指示が「ミスター・ジャクソンは最後に宇宙船に変形して空を飛ぶようにしろ」みたいな感じで、代理人を通じてやってくるわけです。えーっと、「Mr. Jackson says he wants the hero to change into a spacecraft like TRANSFORMER.」みたいに。……すみません、話がずれちゃいましたね(笑)。


──それはそれで興味深いですね。それで?


その頃、私のデスクは当時の開発本部長だった鈴木久司さんの脇にあったんですが、そこに来る人間の中に、日本語がうまいハンサムな外人がいたんです。それが誰あろう、マーク・サーニー(Mark Cerny)だったわけです。


──なるほど。彼も一時期、日本のセガにいましたよね。


そうそう。それで私はアメコミを集めるのが好きだったので、毎月新しいのを机に並べていたら、自然に話をするようになったんです。「自分はアメコミが好きで、中でもスパイダーマンが好きなんだ。だからスパイディ(スパイダーマンの愛称)マニアと覚えてくれ」みたいな。そしたらマークも「ハイ、スパイディ」みたいに呼んでくれたり(笑)。


──親しくなったんですね。


その後、私は体を壊してセガを辞めて、半年くらい放浪した後、「Beep」時代の編集長だった川口洋司さんからSCEを紹介してもらったんです。入社してしばらくは、全く違うことをやっていたんですが、ある時、制作トップの佐藤明さんに呼ばれて「マーク・サーニーって知ってるか?」と訊かれたんです。ちょうどマークがユニバーサルの資本でユニバーサル・インタラクティブ・スタジオを設立して、そこで制作した「クラッシュ・バンディクー」のプロトタイプを、SCEに持ってきていたんですよ。もちろん、「よく知ってますよ?!」と。


──世の中は狭い。


持ち込まれた「クラッシュ・バンディクー」は、当時のプロデューサーで、現在SCEワールドワイドスタジオのプレジデントをやっている吉田修平さんが面倒を見ることになって。当初は別の人間を担当につけていたんだけど、やっぱりゲームの開発経験者が必要だということで、私が「クラッシュ・バンディクー」の終わり頃からチームに入ったんです。


──なるほど。


その時に、単に日本側のスタッフとして、普通の移植作業だけをしていれば良かったのかもしれませんが、やっぱりいろいろ見えてくるわけですよ。「これ、難易度とか調整しなおさなきゃなあ」から始まって、ああしたい、こうしたい、と。「2」では最初から日本側の担当者として細かい部分までかかわるようになったんで、徐々に自分の考えも出していきました。


──当時の状況を教えてください。


開発の中心メンバーが、ユニバーサル・インタラクティブ・スタジオの社長だったマーク・サーニーと、ノーティドッグの創業者であるジェイソン・ルービン(Jason Rubin)&アンディ・ギャビン(Andy Gavin)の二人。SCEアメリカのコニー・ブース(Connie Booth)と、それから日本側では吉田修平さん。もうね、凄い人間が集まっていたんですよ! 喩えるなら、マーク・サーニーがポール・マッカートニーで、ジェイソン・ルービンがジョン・レノンという最強コンビ。それからアンディ・ギャビンのMIT仕込みのプログラム能力がジョージ・ハリスンのギターで、吉田修平さんの実務能力がリンゴ・スターのシュアなドラム。SCEアメリカのコニー・ブースがジョージ・マーティンかな。開発以外のマーケティングも、日米それぞれに会社を代表するほどのスーパーレディが担当して。いやホント、それぐらいの「トップガン・チーム」だったんです。


──錚々たるメンバーだ。


その中でもマーク・サーニーとジェイソン・ルービンというのは、別格でしたね。能力的にも志向的にも。マークは日本でヒットさせようという意志を強く持っていましたし、ジェイソンはウェルカムで何でも言ってくれれば実現するから、と。それで、日本でキャラクターテストを行ってデータを送ったり、必要そうな漫画の資料を大量に送ったり……あとは、難易度に関してマークと国際電話でやり合ったりしましたね。


──と言いますと?


ある時、開発中のゲームのステージに対して、ここはこう修正しなくちゃダメですと言ったら、マークは「そんなことはない」「また鶴見はワタシを怒らせるために言っている」と(笑)。だったらフォーカステストで証拠を見せてみろと。何人ものプレイをビデオで録画して、どこで死んだかマップに印を付けて集計してみろと。


──なるほど。


それでやりましたよー。マップを自分で作って、テストプレイヤーを集めてフォーカステストをやって、死んだところに印を付けていって、もう何から何まで。それで「やっぱりそうじゃん! ここの川に浮かぶ葉っぱの曲がり角で、何人も死んでるじゃん!」と。私も若かったんで、電話してマークに苦情を言って。でもマークはゆずらずに、電話をガチャ切りしたりするわけですよ!


──目に浮かぶようだ。


でもキッチリ30分後に電話がかかってきて、ちゃんと解決法を提示してくるんですよね、毎回毎回。その時はあらためて、いやあマークって天才だよなあと思いました。というか、今から考えるとマークってツンデレですよね。「あ、アンタの言うこと聞いてアイディア考えたんじゃないんだからねっ!」みたいな(笑)。


──セガ時代は自分たちでゲームを開発してきた。それが今度は海外スタジオでの開発を、ローカライズという立場でサポートすることになった。そのことに対する葛藤などはありませんでしたか?


それはなかったですね。プログラマや絵描きの人なら、また別なんでしょうが、企画の人間っていうのは、自分が問題を発見して、問題解決のアイディアを出して、それがゲームの中に入るんだったら、国内だろうが海外だろうが全く拘らないですよ。たしか「クラッシュ・バンディクー」でも、シリーズの中でどこかのボスステージの仕様を自分が書いてたはずです。


──ディレクターが誰だとか、それが日本人だとか、アメリカ人だとか、そんなことは関係なかった。


関係があるのは、開発能力が高いかどうかだけ。ノーティドッグには、おもしろいアイディアを世界中のメンバーからピックアップして入れ込むという企業風土と開発能力があったから、能力の低い国内チームと組むより、はるかに楽しかった。それに開発の終盤では、アメリカに行ってチームに張り付くわけですよ。完成するまで帰ってこれない出張(笑)。そんなときは、夜中までみんなで作業して、一緒に夜食を食べに行ったり。修羅場の状況って、ホントどこの国でも一緒ですよね。まあ、多少は言葉の問題があって、私の英語力だと日常会話は通じにくいんですが、ことゲームのこととなると全く問題ない。同じ「ゲーム」という共通の知識ベースを持っているから、話が通じやすいんですよね。


──やっぱりゲームのことだと盛り上がる?


それはもう! よくジェイソンとは「すべてのゲームにはダンスがあるべきだ」という話で盛り上がりましたね。狭義のダンスという枠組みじゃなくても良いけど、言葉に頼らずに、プレイヤーの感情を揺さぶるエモーショナルな要素が、ワールドワイド・タイトルには必須だ、と。私の処女作「マイケル・ジャクソン ムーンウォーカー」も、ダンスが大々的にフィーチャーされていたおかげで、ゲーム性の低さの割には売れたぞ、とか(笑)。まあとにかく歌と踊りみたいなものが、ゲームには必要だよなという話を、よくしていました。「クラッシュ・バンディクー」には、CM発の「クラッシュダンス」をゲームに入れ込んだのも、その流れですね。


──余談ですが、そういう意味でも「パラッパラッパー」は凄かったわけですね。


ああ、そうですね。松浦(雅也)さんはすばらしいですね。ストーリー付きのミュージカル仕立てなんて、作るのは死ぬほど大変ですが、上手くハマれば何よりもすばらしいゲームになりますね。


──「スペースチャンネル5」なども、その直系と言えそうです。


そのとおりですね。あれもすばらしいゲームだったじゃないですか。マイケルも出てくるし(笑)。


──すみません。話を元に戻して、単なるローカライズというよりは、国際分業に近いですね。


たしかにそう言える部分はありましたね。大きなところで言えば、「バンディクーの妹」キャラのイメージを日本のアーティストに描かせて、それを参考にアメリカのアーティストがココ・バンディクーを創ったりとか。「クラッシュ3」でポケットステーションに対応したんですが、あのプログラムとインターフェース類も一式、日本のチームで作りましたね。ていうか、ドット絵のダンスアニメーションは、私が自分で作ったんですよ! ……まあそんな大きなものじゃなくて、細かいものに関しても、それこそ無数にありました。私は自分でなんでもやっちゃう方なんで、こういう要素が入らないか、なければこちらで作って送るんから元データを送ってくれ、なんてのもしょっちゅうあって。色んなテクスチャーや、日本語のフォントまでも、私が描き起こしました。「1」で別の人が作ったフォントをもとに、イラストレーターでアウトラインをおこして、それをドットにして。だから自分も開発チームの一員だったという意識はすごく強いです。というより、そういう風に思わせてくれたノーティドッグなり、マーク・サーニーはすごかったですね。


──ちなみに、英語力の問題はありませんでしたか?


いやあ、問題ありまくりでしたよ。


──どうやって解決されたんですか?


それがですね。吉田修平さんという人はですねー。最初は「オレも手伝ってやるよ」と言ってくれたんです。でも、それは最初だけでした。そのうち「自分でメールくらい書けよ」と冷たい目で言うわけです。あの人はホントに人を動かすのが上手いですよね。


──ははは。


たかだか1通2通、それこそ今なら30分くらいで書けるような英文メールを、夜中の2時くらいまで、うええーって言いながら書いたりしました。今でも会話は苦手なんですよ。ただ、そういうのをノーティドッグの面々は、わかってくれていたんですよ。


──いい人たちだ。


一般的に言語が苦手だとバカっぽく見られますよね。でも言ってることが割合マトモだってわかってもらえるようになってからは、日本語がわかるマークに手伝ってもらったり。ジェイソンなんかは、「ヘイ、オマエの言いたいコトは、ひょっとして、こういうコトか?」なんて洞察してくれたり。自分が言いたいことを、英語で断片的に言うと、間を補完してくれるんですよ。うわあジェイソンはなんて賢いんだ! と感銘を受けてました。


──いわゆるブリッジパーソンが、そのままジェイソンだったり、マークだったりと、つまりはトップだったわけだ。


そうですそうです。なんだかんだ言って、ジェイソンはアーティストで、アンディはプログラマ、マークはプランナーかつプログラマと、全員が現場の人ですから、本当に話が早い。ジェイソンが戯れにドットで円を描くのを見ていたら、ドット打ちの経験が長いってわかったんで、オレも実はドット打ちが得意でさ、みたいな話で盛り上がったこともあったり。もともと私もTK-80などからマイコンを触ってましたし、彼らはアップルIIからやってて。経験が長いと、たいていのことは一人で試行錯誤してるわけじゃないですか。年齢こそ違えど、同じような経験をしていると、本当に話が通じやすいですね。


──ゲーム開発者としての経験が言語の差を補完したわけですね。


しかも、話したことをまとめる「開発的腕力」にも優れていたわけですよ彼らは。今まで話したことは、私が日本版のために行った活動ですけど、彼らは同じような対応をSCEヨーロッパに対してもやっていたわけです。


──話を聞いていると、ワールドワイド・プロダクトとしては本当に理想的ですね。


そう、本当に理想ですね。SCEアメリカ、SCEジャパン、SCEヨーロッパと、各地域のプロデューサーがアイディアなり問題なりを持ち寄って、何度も何度もミーティングをして、それに対する方針がざくざくと決定されてゆく……ホントにもうPS1の頃の「クラッシュ・バンディクー」のミーティングというのは、非常にエキサイティングでした。もちろん、そこで決まったことは、120%が実現されちゃうわけですから!


──なるほど。それは確かにエキサイティングでしたね。


本当にエキサイティングでした。もちろん日本でも、おもしろいゲームはたくさん作られていたわけですが、でも自分たちは、特定の国向けじゃない「世界中でヒットするゲーム」を作っているという自負がありました。本当にあのときの成功体験というのが、それ以降、仕事を進めていく上での糧になりましたね。


──海外スタジオと仕事をする上でのコツなどはありますか?


コツ? ごめんなさい、その頃の私は何も意識していませんでしたのでわかりません(笑)。今から考えると、マーク・サーニーと吉田修平さん、コニー・ブースの手腕ですね。だって、マーク・サーニーは「呑ミュニケーション」とか言うんですよ、日本語で!(笑) 吉田修平さんも、いわゆる社会人的なつきあいを非常に大切にする人で、私がちょっと気分が悪くて、ディナーをパスしようかな、と思っていたら、「何で出ないの?」と怒られたり。同じくこの人も呑ミュニケーションの人ですね。


──呑みが重要。


余談ですけど、吉田修平さんって、これまで私が会った人の中で、いちばん仕事のスキルが高い人ですよ。ああ、この人の下で仕事を失敗するコトなんて、ないだろうなあ、と。それで実際に吉田さんがプロデューサーだった「吉田グループ」の下で、「クラッシュ・バンディクー」ができて、「グランツーリスモ」ができて、「サルゲッチュ」ができて、「ICO」もそうか。全部吉田グループですよ。




ラチェット君の「ゲジゲジ」眉毛 




──そうした経験がPS2になって「ラチェット&クランク」で生きた。


そうですね。ではラチェットの「眉毛」について話しましょうか。というか、ゲーム業界を去るにあたって、これだけはゼヒ明かしておかねばなるまい! なぜ日本版だけラチェットの眉毛が太くてゲジゲジなのか!


──確かに海外版では薄くてスラッとしていますが、日本版だけゲジゲジですよね。しかもパッケージイラストでは、さらに誇張されている。


ネット上では「あんなのは子供が泣く」なんて言われたりもして、超不評ですよ。でも、あれを嫌っているのは、基本的には大人なんです。子供が泣いていないのはよく知っていますし、実際にあれを楽しく遊んでいる。ただ、あれは功罪半ばといったところもあるんですよね。ゲジゲジ眉毛は、子供には超ウケる。でもちょい上の思春期以降には「子供っぽいな」と思われる。そういう記号なんです。昔と今とで少年漫画を比べてみればわかるんですが、みんな眉毛が細くなって、瞳も小さくなっていますよね。コロコロコミックなどでは太眉の主人公もいますが、少年ジャンプあたりだと太眉は全滅。あらゆる世代にウケるものじゃないのは、当然わかっています。


──なるほど。


おもしろいのは、同じように日本の漫画が好きな海外の人間も、眉毛が太い方がクールだと言っていること。PS3版では本体のユーザーアカウント作成で海外リージョンを選ぶと、英語版でプレーできるんですが、その時は顔のモデルも変わるんですね。それでYoutubeあたりにアップされた日本版のムービーを見た欧米人が、日本のラチェットの方がクールだと言っている書き込みがあったりします。


──日本版と海外版で、ラチェットの顔も、3Dモデルも変えているんですか?


そうです。


──それはすごい。


じゃあ、その眉毛はなぜ生まれたか。その話をすることで、海外のゲームを日本向けに変換する時の「プラスのクリエイティビティ」の話ができると思うんですが。


──お願いします。


インソムニアックが、「スパイロ・ザ・ドラゴン」の開発を終えて、ユニバーサルと手を切ったあたりの話です。当時、インソムニアックを中心に、アメリカ、ヨーロッパ、日本のプロデューサーが集まって、インソムニアックからプレゼンテーションされた企画をディスカッションしていました。後からは韓国のプロデューサーも加わりましたが。


──はい。


インソムニアックで進んでいたのは「インソムニアック5」というコードネームの企画でした。古代インカ帝国あたりを背景に、リアルなキャラクターが武器を使って進んでいくアクションです。残念ながら製品化には至らなかったんですが、その基礎研究をそのまま使って、今度はコミカルなキャラクターの冒険アクションゲームにスライドしたんです。それが「ラチェット&クランク」。そのあたりの経緯はゲームディベロッパーズマガジンに詳しく掲載されていましたね。たしか、社長のテッド・プライス(Ted Price)か、ブライアン・オルガイアー(Brian Allgeier)が書いてましたよ。


──なるほど。


その際、主人公の「ラチェット」というキャラクターが議論の中心になりまして。最初にデザイン画を見たとき私は、このままでは日本じゃダメだと判断したんです。それでインソムニアックを真ん中において、日本側とアメリカ側で綱引きをしたんです。というより当時、SCEアメリカのマーケティングにはエイミー・ブレア(Ami Blaire)という女性がいて、アメリカ市場で表に出る物のほとんどを、彼女がほとんどコントロールしていたんですよ。アメリカはマーケティング部署の意向が強いですからね。で、ラチェットのアピアランスについて、私とエイミーの一騎打ち。では何が問題か。実はラチェットの顔の骨格の、眉根の部分がボッコンと出っ張っていたんですよ。アメリカのキャラクターでは、よくあるじゃないですか、そういうのって。人間でいうなら「原人」みたいなフォルム。しかもひどいことに、モデリングがほとんどできていて、それを前提にスキンアニメーションまでできていた。ずるいよーと思いましたね。なんでこの状況で俺んトコに持ってくんの!?って。これじゃ明らかに「海外モノ」だと見られてしまう。それだけは避けたかった。


──バタ臭い感じですね。


それだけじゃなく、なんというか……キャラクター性が「足りない」んですよ。バタ臭くて、キャラクター性が薄い主人公が、もう既に完成しつつある。これじゃ、日本で考えている「勝ちパターン」に乗せられないじゃないか、と。


──勝ちパターンとは?


要は、「クラッシュ・バンディクー」のパターンです。というのも、その前に「クラッシュ・バンディクー」で、コロコロコミックさんとすごく良いリレーションが築けていたんですよ。ワールドホビーフェアでばーっと盛り上がって、子供や親御さんを中心にライトユーザーを囲いこめていた。


──なるほど。


もう少し細かく言いますが……「クラッシュ」は「1」の時に、最初にバーンとテレビコマーシャルをばらまきました。それ以外にも多摩テックで体験版をファミリー層に配ったりとか。ファミリーやライトユーザーに向けて、ドーンとやっていたんです。これらはマーケティングの話なので私の専門ではないんですが、プロモーションもノリノリでやってくれて。それで媒体ではコロコロコミックさんと組んで、誌面で展開するだけじゃなく、「おはスタ」でしか放映しない1分間CMのシリーズを作ったりとか。相乗効果で子供たちに絶大な支持を得ていったんです。


──懐かしいですね。


「クラッシュ」はSCEから離れましたが、「ラチェット&クランク」をスタートするにあたって、我々は男の子を中心に同じ展開をしたかった。その上で何がいけないって、キャラクターに何も特徴がないのがいけない。「これは謎の生物ロンバックスって言うんですよ」なんて文字で説明しても、子供にはわからないんですよ。それで、こうじゃなければダメだって言いながら、もらった図版に赤を入れたり、自分でフォトショップを使ってレタッチしたりと、何度も何度も修正要望を送りました。でも眉根のバタ臭さって、どうしても残っちゃうんですよね。モデリングがそうなんだから。それで窮余の策として、眉毛のテクスチャーを作って張ってみたら、これが眉根じゃなくて、眉毛に見える。


──海苔を長方形に切って、ペタンと貼るようなものだ。


そうそう、まさにそうです。要は、「眉根隠し」。眉毛は「バタ臭さとのトレードオフ」として生まれたわけです。

それに加えて顔に縞模様も付け加えたり。顔の模様が攻撃性を表すなんてのは、国によらず普遍的だと思うんですけど、そういう記号をキャラクターに取り入れるのって、「アニメ的」「漫画的」なんですかね。当時の海外のキャラクターデザイナーは、あまり慣れていなかった。そういうことをすると「安っぽくなる(cheesy)」「同じに見える」って。

これは私見ですが、欧米のキャラクターアーティストは、「違うこと」を重視しますよね。ところが日本の受け手は「違うこと」を拒否する。むしろ、同じ素体に色んなキャラクター性を象徴するパーツを組み込んで、「これがキャラクターです」と提示してくる。どっちも極端ですが、少なくとも日本ではキャラクターを象徴するパーツが組み込まれていないで、素体の違いだけで勝負するキャラクターは、バタ臭いといわれてスルーされてしまう。なにより、漫画のような2次元のペン画に落としたときに、キャラクターとして成立しない。


──そうですね。


さてラチェット君ですが、実際には眉毛テクスチャーを追加するわけにはいかないので、眉根部分を黒くしてみました。これって犬に眉毛を描いたみたいだけど、ないよりはいい。ゲーム内のキャラクターデザインとは別に、プロモーション図版などでは眉毛を独立させればいいし。シリーズが続いていけば、モデルなども変えられる余地があるだろう。そういった判断の下、「眉毛を付けるのなら日本側もアグリーできますよ」と、エイミーに返事したわけです。まあ日本側っていっても、自分はその頃フリーランスで、SCEの外の人間だったんですが(笑)。でも、そういう立場で仕事をしていたんですよ。


──なるほど。


こんな風にして、ワールドワイドでキャラクターを揉んで、ラチェットはああいう風になったんです。

ところが! ところが、「1」はPS2本体と同梱版が出たんですね。それでPS2の本体パッケージに、ラチェット&クランクのキャラクター図版が印刷されることになった。それで当時の久夛良木社長が、ギリギリになって、「ラチェットの図版を変えるのはまかり成らん! 全世界で同じ図版に決まってるだろ」と言い出した!


──なはは。


久夛良木さんはソフトには何も言わないけれど、ハード周りのデザインには、こだわるこだわる。フォントの級数の0.5ポイントまでこだわりますからね。それでPS2のパッケージ箱に印刷されるラチェットにもこだわりが発揮されちゃったわけです。眉毛も、アメリカ版にあわせて薄いまま。ローカライズ、カルチャライズといいますが、そのための努力がまったく無視。だったら最初からそういうオーダーを出せよと(笑)。


──なるほど。


それでね、直訴に行ったんですよ。我々には「クラッシュ・バンディクー」の成功体験がある。その上で、こうすべきだと確信があるんだ、と。そう言ったら、久夛良木さんが猛反対した。じゃあミッキーマウスの図版は全世界で違うかと。ソニック:ザ・ヘッジホッグも全世界一緒だろと。いやホントは違うんですけど(笑)。でも久夛良木さんは「疲れをしらない子供のように」延々話して、途中で口を挟ませない。ムリヤリ「いや、これはこうです」と言ったら、「君ねえ、僕は社長だよ。僕が喋るのさえぎるなよ」って。


──(爆)


久夛良木さんの空いている時間を押さえて、さんざん言ったんだけど、あの人は曲がらなかった。あの態度は、ある意味、尊敬に値しますね。そして私も最後は、本体に同梱されることで、それなりの売り上げも見込めるだろうと、商売っ気に転びました(笑)。まあ、クライアントの社長には逆らえないと言うことで。ただ、1作目からコロコロさんとガッチリ、タッグを組んでドカーンと打ち上げるという意味では、ちょっと違っちゃいましたね。


──いやー、いい話ですね。


それで「2」からは、当初のねらい通り、もう少しコロコロさんと一緒にやろうと。それでパッケージも「1」ではCG画でしたが、「2」からイラスト画にしました。実際、同梱版のアンケート集計から、小学生男子を中心にコアなファン層ができつつある手応えも感じましたし。


──やっぱり自分たちは間違っていなかったと(笑)。


「1」以降、実は毎年細かく手を入れてるんですよ。ゲーム中のテクスチャーや眉毛、目玉のハイライトも毎年いじっていますね。フォトショップで、ちゃんと眉毛専用のブラシも作って(笑)。毛皮テクスチャーはリアルさを少し落として、目玉の表現も漫画的にして。その延長で、「FUTURE」では日本版だけ瞳のハイライト量が、全く違います。


──細かい調整が加わっている、と。


そうなんですよ。やはり日本で独自のクリエイティヴを加えないと、日本のモノにならない。

そういった意味で、特に大変だったのが「4th」(ギリギリ銀河のギガバトル、原題はRatchet: Deadlocked)。バトルアリーナでの戦いの連続だったり、クランクがサポート役に徹したりと、インソムニアックが出してきた初期コンセプトが、あまりに既存作と違いすぎて、今までのファンに向けた新作としては出しづらいと思ったんですね。

もっとも、当時はPS3発売前夜で「レジスタンス」の開発を並行してやっていたため、スタジオの人的リソース配分などの問題から、ああなるのは仕方がなかった。フランチャイズオーナーのSCEアメリカとインソムニアックの間で、話がついていたんですね。それでバトル中心の展開で、PS2のオンライン対戦向きの企画になった。まあ、企画としては解る。ただ、日本側としてどういう製品にすればいいんだろう?  と。そもそも日本ではオンライン対戦は削除してあるわけですから。そりゃオンラインができたらいいだろうけど、日本でやっても子供はついてこれないからダメだと判断したんですよね……。


──市場の違いが際だつ作品だったわけですね。そういえば、「4th」では、ラチェットがクランクを背負っていませんでしたが。


クランクを背負わず、フルアーマーでフルフェイス・ヘルメットで顔を隠したラチェット。アメリカではそもそもタイトルが「ラチェット&クランク」ではないですし。ゲーム中のGUIのデザインスキームも大きく違ってるんですよね。いわば「外伝」的扱い。でも日本では、ナンバリングにしてくれとのオーダーがマーケティング方面から来ていたんで、どうやって「続編ですが、既存作とは違うんですよ」とユーザーに伝えるか、非常に悩みました。……いや、大人にとってはどうにでもなるんですけど、子供に向けてどうしようかなあ、と。


──あくまで子供中心。


で、諸々の相反する境界条件を満たすには、何らかのイメージを導入するしかないな、と。そしてたどり着いたコンセプトが……「変身」。


──まるで宇宙刑事の「蒸着」ですね(笑)。


そう。イメージはアレです(笑)。初期コンセプトを日本にアダプトさせるには、今までのラチェットだけど「変身したんですよー」というイメージ付けをするしかないな、と判断したんです。キャラクター的にもゲーム的にも。

そう決めてから、インソムニアックとSCEアメリカにエクストラの作業を依頼したわけです、「変身にかかわる追加要素を入れましょう」と。


──こちらからお願いしたんですね。


実は「変身を入れよう」と判断した理由はそれだけじゃないんですけどね。そのころ次世代ワールドホビーフェアで、着ぐるみキャラクターがダンスするステージイベントをやっていたんです。昔はクラッシュだったり、今ならピポサルがテーマ曲に乗ってダンスをするやつです。そこで当時、ラチェットのステージなんかもあったんですけど、でも、踊る曲はといえば、ピポサルの曲。「♪サル、サル、サルサルサルー」ってやつですね。ラチェットが主役なのに、踊るのはなぜかサルダンス。いやもう、悔しくて悔しくて、それで何とかラチェットにも踊れるテーマ曲を作ってあげたかったんです。それで変身のテーマ曲を元に、ダンス用のステージ曲を作っちゃえ! と思いついたわけです。アメリカ側のコンポーザーに、変身カットシーンのジングルを作ってもらって、それを細江慎治氏のスーパースィープさんにお願いして、ダンス曲として編曲してもらったんです。


──原曲はアメリカ人の作曲家が作ったんですね。


そうです。それを作ってもらうために、宇宙刑事シリーズや仮面ライダーなどの変身シーンなどを、映像をリッピングして、参考資料として送りました。あわせて私が自分で変身ポーズの振り付けをして、デジカメで写真に撮って「ビカビカビカーッ!」とか書き込みを入れて、写真コンテ風にして、これに合うように作ってくれと。それで上がって来たジングルを、スィープの中でも旧知の佐宗綾子さんという女の子にお願いしたら、これがまたすばらしい曲になったというわけです。あとは、自分でラチェット世界にピッタリな歌詞を書いて、声優さんに唄ってもらいました。「キャプテン・クォークのガラクチック★エクササイズ」という曲です。


──プラスの要素がてんこもりだ。


そうそう。だから本来「Ratchet: Deadlocked」というのは、オンラインバトルを前提とした内容で、プロジェクトの規模自体は縮小したため、いわゆる「冒険アクション」を期待するシリーズのファンを若干、失望させる企画だったんですよね。タイトルからしてクランクが省略された、外伝的な位置づけ。それを日本の子供ファン層にも納得いただける、ちゃんとナンバリングタイトルと言っていい、最低限度のレベルには引き上げられたと思います。


──僕も遊びました。


そもそも日本向けにゲームを作る上で、キャラクターアーティストがアメリカ人というのは、本来ありえないんです。今でこそリアルテイストのゲームは、次第にOKになりつつありますが、少なくともPS1時代では、アメリカ人が作ったゲームってどうなのよ、という風潮があったと思います。PS2でやっと、ゲーム的に面白いモノが出てきた。だから、オレは良い仕事をしたなと(笑)。だけど今のファミコン世代には受け入れられなかった。今はリアルなものだとOKだけど、それは子供にはヒットしない。だから、PS3なりXbox360なりで、海外開発に依存する傾向が増えていくと、子供向けの市場ってどうなるの、という強い危惧はありますね。


 


英語の学習法 


 


──ちなみにSCE時代に、英語の勉強は何かされましたか?


勉強しろと言われましたけどねー。昔も今も会話は苦手なんですよ。喋っていると、だんだん言葉に詰まってきて、近くにいる英語がわかる人に助けを求めちゃう。良くないですね(笑)。でも読み書きは全然問題ないし、洋画も半分くらい意味が抜けちゃうんだけど、シナリオを読むのは好きで。


──洋画の脚本を自分で購入して?


そうそうそう。だから「スター・ウォーズIV-VI」のシナリオは、ほとんど暗記していましたよ。あとはアメコミを読むのが好き。それから、洋画は吹き替え版と字幕版を両方見る。これはオススメ。なんでみんなやらないのかなあ? すばらしい吹き替えとか、ありますよ。ゲームの吹き替えで東北新社の外画の方とおつきあいがあるんで、内情なども教えてもらったり。


──海外ドラマやテレビの洋画枠など、日本には固有の吹き替え文化がありますよね。


あります。邦題の付け方などもそうですよね。私は「スパイ大作戦」が大好きなんですよ。「ミッション・インポッシブル」じゃなくて「スパイ大作戦」なんです。「スパイ大作戦! 実行不可能な指令を受け、頭脳と体力の限りを尽くしてこれを遂行する、プロフェッショナル達の、秘密機関の活躍である!」、これですよ。


──あのオープニングナレーションというのも、日本版で付け加えられた要素ですよね。他にも「特攻野郎Aチーム」だとか。「サンダーバード」でも日本版だけ主題歌が加わって、子供が歌える。


そうです。ああいった吹き替えドラマが私の精神的支柱です。「ハワイ5-0」「奥様は魔女」「ローハイド」「刑事コロンボ」「アダムスのおばけ一家」「三馬鹿大将」「サンセット77」……。とにかく、「スパイ大作戦」がなかったら、私は勝手な邦題付けなんて、してないですよ(笑)。


──「ガガガ銀河」、ですね(笑)。


吹き替えに関して言えば、たとえばゲーム内のカットシーンやムービーでは、まず大前提として口パクを合わせなくちゃいけない。さらに口の動きを合わせながら、原文の台詞の情報を欠落させてはいけない。その上で生きた台詞じゃないといけない。となると、必然的に、台本とキャスティングと演出を一定以上のクオリティにする必要がある。


──英語と日本語では同じ秒数で盛り込める情報量も違います。


それにアメリカ版の元の映像は、最初に声優さんが喋ったボイスデータにあわえてアニメーションをつけていく「プレスコ」なんです。それに日本語を後からアテていくのは、日本の声優さんの職人技があってこそ、成り立つんですね。なので、そこは非常にこだわっているところです。


──ある種、特殊な世界で、そこにすごい職人さんがいて、好きでやっているというイメージがありますね。


まさに「好きこそものの上手なれ」です。だから英語の勉強に話を戻すと、洋画を吹き替え版と字幕版を両方見て、自分だったらどうするか考えるとか。今では無意識のうちに、自分なりの台詞が頭の中で浮かびますよ。でもテキストの翻訳というのは、とてもベーシックなスキルで。さらにそこからキャラクター性を付け加えたりとか、それぞれの声優さんの持ち味を前提に、多少オーバーな言い回しを加えるとか。そのうえで、それを演出できてやっと製品クオリティです。そういった勉強は、仕事をこなしながら行いました。英会話の勉強よりも、そっちの方が好きですよ。


──なるほど。


そもそも日本版の台本を作る時に、アメリカ版の音声を聞いて、それから起こしているんだから、さんざんヒアリングはしているはずなんですよね。でもヒアリングは苦手なんですよ。スピーキングも苦手。得意なのは英語の読み書きと、「日本語」です。


──読みはアメコミやシナリオなどでわかりますが、書きは?


書きこそは練習ですよ。


──翻訳サイトなどは使われない?


翻訳サイトの英文は間違ってても自分で気づけない場合が多いんで嫌ですね。だから使っているのは、シェアウェアの「英辞郎」だけですよ。これだけは欠かせません。あと、英文の言い回しに自信がないときは、書いた文章をそのまま検索してみるんです。ヒットすれば、この言い回しでいいのかと。


──なるほど。


だから英語力は、高校生レベルで十分じゃないですか? まあ、ここで自慢すると、私らの時は大学入試で共通一次ってあったんですが、そこで英語は200点満点中195点取りましたが(ニヤリ)。


──おお?っ! そりゃすごい。なんだ、やっぱり素質があったんだ。


でもそういうのは、仕事ができるできないとは関係なかったりしますけどね。問題なのは英語と国語はそこそこで……何より、吹き替え物が好きであること。それだけじゃないですか。


 


 ゲームライターへの道 


 


 ──話はがらっと変わりますが、鶴見さんはゲームライター出身で、いわば僕の大先輩なわけですが、そのきっかけを教えてください。


もう最初から話させてください! そもそも1970年代に、短波ラジオを聞いて海外の放送局に受信報告書を送り、ベリカード(Verification Card)をもらうという[b]「BCL(BroadCast Listening)」なる趣味が大流行しまして、小学生の頃にハマったわけです。その延長で中学生の頃はアマチュア無線(ハム)の免許を取って、同世代のハム仲間と毎晩通信していたんです。BCLからアマチュア無線に行くのは、当時はごく普通だったんですよ。


──僕もアマチュア無線は免許だけ取りました。


同じ流れで「初歩のラジオ」や「ラジオの製作」などを読んでて、電子工作をやって、シンセサイザーのVCOやVCAだけを作ったり……VCFも作れよって感じですよね(笑)。で、私は出身が長野県の軽井沢あたりなんですが、1シーズンに1回は秋葉原に行って、電子工作の部品を買ったり、当時あったビットインというマイコンショップでプログラムを打ち込んだりしていたわけです。高校の頃は新聞配達で貯めたお金でPC-8001を買って、プログラムを作ってました。そんなこんなで大学に受かって、お祝いに「フロッピードライブ付きパソコン」を買ってもらったんです。それがSMC-777。。ソニー製ですよ!


──あらら?、そこでいきなりガックリ感が……。


いやいや! SMC-777は当時すばらしいマシンだったんですよ! 4096色表示に3.5インチのフロッピーディスクドライブに、CP/M準拠の独自OSに……。しかもタイムリーなことに、実家の近くの本屋で、「Oh!HIT BIT」という雑誌の創刊号がおいてあったんです。「ソニーのパソコン、人々のヒットビット by SONY!」の専門誌!


──「Oh!HIT BIT」なんて、あったんですか。


そうなんですよ。ソフトバンクの「Oh!PC」「Oh!MZ」とかの系列で。あとで調べたら、その地方ではごく僅かな部数しか入荷していなくて、それを私が買ったんです。


──すごい偶然ですね。


さて、大学入学のために上京しました。普通、サークル勧誘とかしてますよね? そこで数多のサークルの中から、コンピュータ系のサークルを覗いたら、先輩が「うちのサークルに入ると、雑誌でライター活動もできたりするぜ?」なんて言ってたんですよ。「どんな雑誌なんですかー?」「ソフトバンクのOH!シリーズとか。最近も『Oh! HIT BIT』という雑誌が出て?」「えーっ! オレ、持ってますよ!」。ちょうどその時、鞄の中に持ってたんですね。「ああ、これオレが書いた記事だ」みたいなことがあって。


──運命の出会いだ。


それでサークルに入って、編集部に行って。2号からライターの手伝いをはじめて、3号からちゃんとした原稿を書いて。その年末にゲームの雑誌を作るからやらないか、と言われて「Beep」編集部で仕事を始めたんです。創刊から数号は「Oh!」シリーズのメインライター級が、がっと集まって作ったという、なんだかよくわからない、すごい雑誌だったんですよ。まあ、「Oh!HIT BIT」こそ、みんなでよってたかって書いたんですけどね。マッキントッシュ関連のライターとして大御所の大谷和利さんなどもいて、それが縁で、後にマックで盛り上がったり。後に「Oh!HIT BIT」は休刊したんですが、「Beep」はその後も続いていったと。


──いや?、時代ですね。当時の思い出を、何か一つだけあげるとしたら。


一個だけですか? え?っ……。最初はパソコンやアーケードゲームなどの記事を書いていて、それからファミコンがバーッと盛り上がってきたじゃないですか。それで当時ナムコに取材に行ったとき、社長室の人から「もし、うちがファミコンに参入したら人気が出るかな?」なんて聞かれて。「えーっ! 参入するんですか?」「いや、今度これとこれで」「うわーっ、絶対に買いますよ!」みたいな話をしましたね。


──それは……すごい時代の話だ。


そう。だって「ファミコン通信」創刊より前の話。我々としては、まず「ログイン」が先輩としてあって、次に「Beep」で、その後に「ファミ通」があって、というイメージだったんですよ。あ、そういえばあるとき、AOUショーだったかな、アーケードゲームの展示会に取材で行ったんですが、自分のチケットがないことに気づいたんですよ。その時に通りがかったのが、誰あろう、浜村通信さん。「ああ、『Beep』の人じゃないですか。チケットが余ってるから、一緒に入れてあげるよ」と言ってくれたことがあるんですね。ただ、後に浜村さんにその話をしたら、全然覚えてなかったんですが(笑)。


──当時のライターは学生が多かったんですか?


いやー、もう学生ばっかりでしたよ。結構一流と呼ばれる大学の人間なんかがいて。「OH! PC」あたりで「今度防衛庁に入ることになったから、ライターを辞めるよ」、みたいな人がいたり。そういうレベルですよ。みんな電子工作を経て、ラジオやって、アマチュア無線やって、SF読んで、コンピュータやって、ボードゲームやって、という人間ばかり。そういう人間って、同世代より上では結構います。


──それでゲームライターをやりつつ、セガに取材に行ったら、そのまま人事の人が呼ばれて、セガに入ってしまったという。


そうそう、それです。その前の年に取材で、「セガに会社訪問」みたいな記事も書いていた、なんて伏線もあるんですが。平成元年入社です。


──当時のゲーム業界というのは、まだそんな感じだったんでしょうね。


ちょうどこの前、就職用に卒業証明書が必要で、学校のサイトを見てたんですけど、自分の出身研究室からの就職先がもう、すごいですね。研究畑がずらずらっと並んで、ゲーム業界は一切なし(笑)。いや実は、セガ時代の同期で、やっぱり早稲田理工の数学科かどこかから、セガに入った人間が1人いて。


──両方とも変わり者だったんでしょうね。


ええ、そうです。二人とも変わり者。しかも同じ体育の授業を取ったので、顔見知りだったという。今も、ランド・ホーでゲーム作ってるはずですよ。元気かなあ。


 


パチンコの「ゲーム性」って何だ? 


 


──そういう中でゲームライターをやって、セガでアーケードをやって、コンシューマをやって、SCEで海外制作をやって、次はパチンコ。ホントに、ある種バタバタのようでいて、首尾一貫していますね。


だって、自分にできることしか、できませんから。


──ただ、その前に原体験みたいなことで、ピンボールなどがあった。


もちろんもちろん。小学生の時にまず、ゲームセンターに出入りしていたんですよ。まだ「スペースインベーダー」の前で、エレメカとかピンボールとか。ピンボールの上手いお兄さんがいて、余りクレジットで遊ばせてもらったりとか。後に歳を取ってから、自分も年下の人間に対して同じことをしたりもしました。なんかゲームセンターって楽しかったよなあ。それで「ブロック崩し」が出てきて、デパートのゲームコーナーで大会に出て商品券をもらったり。でもまあ、ピンボール。ホントにピンボール。


──ピンボールの面白って、何ですか?


いやもう、物理的なものというか、アナログの極みというか……まあ、スポーツですよね、あれは。集中していると、なんというか、「ゾーン」に入るんですよ。プロスポーツの世界で、よく達人的に上手くなると「時間がゆっくり進む」みたいなことって聞きませんか。それと同じことを体験しているわけです(笑)。「シルバーボール」マニアなんですよね。


──シルバーボール繋がりで、パチンコもおぼえて。


実は高校の頃からやってました。若かりし頃、オケラになって高田馬場・宇宙会館から下宿まで泣きながら歩いて帰った日々……も含めて、トータルではかなり稼いでいます。今、乗っている車のエンジンは3基目なんですが、以前の2基分の交換修理代はパチンコで稼ぎました(笑)。まあ、将来的にパチンコ業界に行くこともあるかなと思って、この2年間は業界研究も兼ねて打ったりもして。


──お金をもらっての業界研究ですね。いいな?。


そういうことです(笑)。


──パチスロはどうですか?


スロットを覚えたのはずいぶん後で、大ヒットした「パチスロ北斗の拳」が最初です。初日にラオウを昇天させました! ……とはいえ、スロットを覚えたのは「人生三大後悔」の一つですよ! 覚えるんじゃなかった。トータルで赤字なんですよ。あと依存性がパチンコより高いかもしれないですね。


──その他のギャンブルは? 競馬、競輪などは?


競馬競輪競艇オートはやりません。ただ、ギャンブルといえば、ラスベガスでは全勝しています。勝ちが10ドルという回はありましたが、ともかく全勝は全勝(笑)。まずブラックジャックをやって、次にクラップスで、それからバカラ。あとは小銭でルーレット。まだルーレットで勝てる域には達してませんが、ひと通りはできます。


──全般にわたってますね。


なにしろ昔のセガ第一研究開発部では、課長の小口さんが、ギャンブルの申し子みたいな人でしたから。あんまりおおっぴらには言えませんが、昼休みにトランプでお金をかけて遊んでました。一日に10万円くらい動いてたんじゃないかな?


──小口さんも、ギャンブルを経験したことがあるか否かは、ゲーム開発にすごく大きいと言われていましたね。


大きいですね、どう考えても大きいですよ。何かのテーマを持って、ギャンブルというものを研究したことがあると、強いです。たとえば、ギャンブルでツキとか流れとか、あると思いますか?


──僕も実はギャンブルをやらない派なんですが、ある……んじゃないでしょうか?


それを実感したことがあるかないか……「プレイヤーの心の動きと関連づけて」検証したことがあるかどうか、ということなんです。ツキとか流れって、結局は統計上の偏りにすぎないわけじゃないですか。たとえばコップの中に白と黒の砂を同量入れて混ぜると、必ずダマができるんです。遠くから見ると灰色なんだけど、近くで見るとダマがあって、一様になっているところの方が少ない。つまり確率は、スコープによって……微視的には必ず偏るんですね。それを後から振り返ると「流れ」になる。そして流れによって、プレイヤーの心の動きが作られる。


──なるほど。


カジノゲームのデザインって、ペイアウト率が基本にあります。100円かけた時に平均して何円戻ってくるか、という値ですね。ラスベガスにあるギャンブルで、これがいちばん高いのがクラップスです。ちなみにパチンコって、釘が読めるという前提であれば、日本のギャンブルの中でペイアウト率がいちばん高いんですよ。たとえばボーダー理論というのがあって、1000円でどのくらい回転数があるかによって、ペイアウト率が推定できる。それが100%を超えてる台なら、打てば打つほど日当の期待値が上がる、という。まあ、「理」ですよね。


──はい。


ところが、よく「カイジ」などでありますが、そんな「理」を超えた展開があるから、ギャンブルはおもしろいんですよ。100回やれば収束する確率も、1回だけなら確率通りになるかどうかは運否天賦。貧乏な時の1万円と裕福な時の1万円、同じ確率の勝ち負けでも重要度が違ったりすれば、人生にとっての意味は変わってきますよね。もうちょい俯瞰すると、パチンコで勝つ一方で、体を壊していったり、子供を炎天下の自動車の中で死なせてしまったりとか。普通に暮らしていたらあり得ないような、いろんな出来事がギャンブルの「確率のサイコロ」の出目を軸に起こり得る。微視的なスコープでの確率の偏りが、人生に対して綾を為すわけです。


──そのことと、ゲームデザインというのは、何か関係がありますか?


ギャンブル性とゲームデザインは、また別の要素ではあるんですが、最近のパチンコでは、ギャンブル性の振れ幅を演出するためにゲームデザインを援用している、という感じです。両方とも、心を動かすものですから、親和性が高いんです。お金を賭けると心が動きやすい。


──僕はギャンブルはやらないんですが、一回だけ競馬場に行って、お金をかけて競馬を観戦したことがあります。といっても1-2千円レベルですけど。でも、それでも真剣度が急に上がりました。


そして逆に、ゲーム的に優れていると、射幸心を刷り込みやすい。

ちょっと話が横道にそれますけれど、私はカラオケが好きで、漫画家の鈴木みそさんが主宰している「昼カラ」って集まりに毎月行っているんですが、その集まりに、たまに京都から「かまいたちの夜」などでも有名な我孫子武丸さんが来られるんです。その時は「あびカラの夜」ってイベントが立って(笑)。


──うーん、くだらない(笑)。


で、前回の「あびカラ」の後の飲みの場で、ちょうど「パチンコの面白さについて教えてくれよ」と尋ねられたんです。パチンコ業界への転職を決める、ずっと前の話ですよ。その時に喋ったことが、我ながら「深く考えてるじゃん俺!」という内容だったので、ここではゼヒ、それを話させてください。


──どうぞ(笑)。


たとえばビデオゲームの娯楽というのは、「プレイヤーの操作」に対して「映像的リアクション」があって、それがまた「プレイヤーの操作」を促す……そのループ構造がベーシックな面白さとしてありますよね。そのループによって、脳みそのどこかが発火して「気持ちいい」と。快感によって学習を促し、より高い快感を得られるのが、ゲーム娯楽の本質かなあ、と。同じようにパチンコにも、光の明滅であったり、玉の動きなどから展開を予測したりと、薄いゲーム的な快感が、常に供給されているんです。それが飽きないように、リズムや強弱がついている。常に薄い、麻薬みたいなものが、静脈に点滴されているようなもんです。


──なるほど。


この快感によって、脳みその中では学習付けがなされていく。ほら、昔テトリスをはまったときに、頭の中でブロックが動いていて、消えなくなっちゃうみたいなことって、あったじゃないですか。そんな風に頭の中で回路が構築されていく。このリーチの後に、当たるかも……この予告はアツいかも……ほら当たったよ、すげえ気持ちいい、と。


──はいはい。


このとき、たとえ操作をしなくても、脳みそが発火するんだったら、それはビデオゲームの快感だと言えるんじゃないか、と思うんですよ。たとえばシミュレーションゲームの楽しさというのは、行動ボタンをポチッと押したときに画面が動いて楽しいというよりも、行動ボタンを押す前に、これをこうやってこうすればこうくるよな、と脳みその中で作戦を立てて脳みその中で予測すること自体が楽しい。それを実際に確認するよりも、ひょっとしたら大量の時間を費やしているかもしれない。


──なるほど。「脳内で予測する楽しさ」ですか。


そうなんですよ、実はどちらも「学習」です。シミュレーションゲームなんかだと、かなり思考よりの学習なんだけど、それがもっと脳みその発火に近いような、反射よりの形で学習づけがなされていって、回路ができあがっていく。それで今度はこうやってみようとか、いろいろ作戦を立てるようになったり。今のパチンコの楽しさって、「薄い快感」と「大当りの快感」によって、大当りに至る展開を学習してゆく楽しさなんですよね。その証拠として、パチンコ漫画雑誌ってコンビニでたくさん置いてあるじゃないですか。ストーリーも何もない、パチンコの液晶画面のコピーだらけの漫画(笑)。でも、漫画でパチンコの展開……特に「大勝ちする」展開を見させられると、それを読んでいるだけで脳汁が出てくるんですよ。


──パチンコを知らなければ、まったくおもしろくない。


まさにその通りです。では、まったくの素人の状態から、漫画を読むだけで脳汁が出るようになるまで、どう導いていくのか。最初は絵がきれいだったり、玉を打ち出して、それでハネモノが動いたり、画面が変わったりして楽しいってのはあるんだけど、その行為を通して脳みその中に、ロジックを生み出させるにはどうすればいいか。それを作り出すのがパチンコのゲーム性なんです。これは別に誰から教わったというわけでもなくて、業界研究の結果で。


──なるほど、深いですね。


ところで最近、「パチンコエヴァンゲリオン5 最後のシ者」という台が先週から導入になりまして、初日は優先入場券が手に入ったので開店から打って、夕方ぐらいに72台中トップの3万発も出ちゃったから、もういいやと思って帰って来ちゃったんですが……。


──すごいですね。


……というような話を聞くだけで、もう脳汁が出るようになれば、その台を作っているメーカーとしては、勝ちですよ。そういうものを作りたいですね。


──今の話って、次のドラクエがそろそろ出る、みたいなゲーマー話と同じですね。


そう、まったく同じですよ。結局、ゲーム娯楽では、脳みそに学習させて発火させれば、ゲーム性なんです。


 


パチンコと日本のクリエイティブ  


 


──なるほど。よくパチンコ業界の方と話をすると、いちばん重要なのは版権で、どれだけ三十代のファミコン世代にささる版権を押さえられるかが勝負だと言われますが……。


やっぱり最も重要なのは「出玉」と、それに関わるゲーム性ではあるんですが、とはいえ、今や版権がないと売れませんからね。特に、「歌」が強い。


──「歌」ですか。


ええ。三十代に限らなくて、歌モノって、やっぱり心に訴えかける分、強いじゃないですか。さっきの「ダンス」の話ではありませんが。


──仮面ライダーとか、キン肉マンとか。


キン肉マンは最強ですよ! オープニングもすばらしいし、あの「屁のつっぱりはいらんですよ!」とか「火事場のクソ力?!」とかのキャッチーさは、何かそれだけでやってくれそうじゃないですか。


──そうですね(笑)。


だから80年代のバトルものアニメって、パチンコ、パチスロになりやすいんですよね。ホールの中を見れば、あっちで「キン肉マン」、こっちで「北斗の拳」、他にも「花の慶次」「コブラ」「キャッツアイ」もある。私はエヴァの台が出始めた頃、おばあちゃんといっていい年代の女性が、携帯の着メロで「残酷な天使のテーゼ」が鳴っているをの耳にしました。あれなどもパチスロ効果で、はからずも映像のクオリティの高さが、パチスロによって、より広い層に浸透したわけですよ。だから[/b]エモーショナルな歌と映像があって、それがみんなに慣れ親しまれた題材[/b]であれば、最強ですね。


──つまり一口に版権モノといっても、そこにヒットするだけの理由がある。


そうです。だから漫画だけだと難しい。それに「キン肉マン」って漫画版という元ネタがあって、それがアニメになって映像としてのクリエイティヴが入ったことで、さらに面白いモノになりましたよね。主題歌もホントにすばらしくて、毎月カラオケで歌っているほどです。我々の精神的支柱を作ってきた、日本独自の文化ですよね。音楽では昭和40-50年代が歌謡曲の全盛期でした。アニメの全盛期というのは、80年代ですかねえ。


──それは海外と日本のクリエイティビティの違いにもつながりそうですね。たとえばパチスロでいうと、ラスベガスのスロットマシンが日本に輸入されて、まず「目押し」が入った。それから液晶ディスプレイがついて、キャラクターやストーリー要素が加わった。日本独自のクリエイティヴが追加されて、より一般化しました。


日本は独自のクリエイティヴが、非常に盛り上がっている国じゃないですか。昭和元禄以降、それが花開いた。漫画のおかげですよ。


──テレビゲームでも、ポンやブレイクアウト、ミサイルコマンドといった、冷戦やベトナム戦争の影響が感じられたものが、日本に入ってきてパックマン、ドンキーコングといった具合に、あく抜きがされて、キャラクターとストーリーの要素が加わった。


そうですね。とにかく日本の漫画、アニメ文化というのは、土台となっている。ある世代を境に、海外のアニメで育った人間なんて、いませんよね。我々はハンナ・バーバラなどで育ちましたが。


──あれもローカライズの勝利じゃないでしょうか? たとえば「チキチキマシン猛レース」とか。


そう。まさに「チキチキマシン猛レース」(原題:Wacky Races)って、なんで「チキチキ」なんだよ(笑)ってことですよね。だから結局、日本の漫画、アニメ文化という、どうにも動かし難いものがあって。アメリカから作品を輸入するにあたって、それに合わせざるを得なかったわけですよね。そこには日本は島国だから、独自の文化が生まれやすいという、地理的、言語学的条件があったわけで。


──それは日本で今後、世界市場を前提としたゲーム作りを行う上でも、重要な課題になりそうですね。なにしろ文化というのは、脱ぎ捨てられませんから。任天堂などは、きわめて日本的な、京都的なゲーム作りが、結果として世界で受け入れられています。一方でサードパーティには、軸足が定まらないゲーム作りになっているところもある。


任天堂には、お金と才能の両方がありますからね。前提条件が違う会社が形だけを真似しても、ダメだとは思いますが。


──なるほど。


ただ、任天堂さんがすごいのは、子供向け、ファミリー向けのゲームを、継続して作っているところですね。これからパチンコ業界に行く私が言うのもなんですけど、私もこの12年は徹底して、子供に向けてゲームを作ってきました。子供に向けてゲームを作らないと、次の10年は食えない。これは私の中で何度でも現れるモチーフなんですが、子供に向けた「すばらしいゲーム体験」の提供を、ちゃんとやっていかないと、業界はじり貧になります。お得意様商売は先細るんです。じゃあ一体、誰が子供に向けてゲームを作っているのか。任天堂だけですよね。他はすべて、少子化を理由に、子供層へのチャレンジを怠っている。あるいは、自分らに向けてしかゲームを作っていない。


──そうですね。


実際、少子化といわれながら、コロコロコミックは伸びているんだそうですよ。今年のコロコロコミックの新年会で、佐上(編集長)さんに聞いた話です。少子化に合わせて規模を縮小し、だんだん売り上げが落ちていって結局「撤退」、というのは簡単なんですけれど、それ以前にもっとやることはあるんじゃないかと、そういう風に言われていました。コロコロコミックって1977年創刊で、30周年の新年会では、次の30年も初心に戻ってがんばります、みたいなことを言われてましたし。すばらしい覚悟ですよね。編集部の方々も、すごくしんどそうですけど、みんな目がらんらんとしていますよ。……だから今、子供向け業界から去るのは申し訳ない気持ちがあります。


──ファミコンブームの影には、ハドソンの高橋名人とコロコロコミックのタッグがありました。後にはポケモンを育てた久保雅一さんなどがでてきた。久保さんも元はコロコロコミックの副編集長でしたね。


久保さんについていえば、「クラッシュ」のコルテックスというキャラクターは、久保さんなんじゃないかと、当時はみんなで言っていました、どうでもいい話ですが(笑)。コロコロの方々というのは、何か大きな仕事をする上で、梃子になってくれる方々ですよね。梃子は固くないと支点になりませんが、そういう意味では、すばらしく固い。


──一方で、パチンコ業界で、大人向けにこれから刺さるモノを、ピンボールの原体験などを織り込みつつ、作っていかれるというわけですね。


そうできればいいんですが。


──では、そろそろまとめになりますが、この12年間でローカライズプロデューサーとしてゲーム制作にかかわられて、何か知見を残せるとしたら。


私は日本で海外のチームと一緒にゲームを作っていたんですが、本来は、単に翻訳だけしてれば良かったんですよ。日本独自のクリエイティヴとか、大変な作業をわざわざやらなくても。でも当時「洋ゲー」というブランドがSCEにありましたよね。海外のゲーム自体を、できるだけそのままの形で持ってくるという。


──「デストラクション・ダービー」などでしたね。


そういうのを横目で見ていて、「洋ゲー」という括られ方は嫌だと。そうじゃなくて、最初からインターナショナルな方が楽しいだろうと。だから「スパイ大作戦」なんですよ。それで、仕事としてあるかどうかはわからないけど、いろいろな要素を追加していったんです。当時は宣伝もノリノリでやってくれて。いろんなテレビコマーシャルをアメリカに送ると、みんな楽しい、楽しいって喜んでくれて。そこから偽クラッシュとか、CM発のキャラクターが登場したりとか、ダンスが入ったりとか。


──まさに「創発的」ですね。


ええ。ヒッチコックも「プロデューサーは脚本が読めるべきだし、書けるべき。少なくとも今、現場で何が起きているかがわかって、そこにプラスの要素を追加できる人間がプロデューサーをすべきだ」と言っています。うろ覚えですが(笑)。だから少なくとも、そのまま持ってくるというのではなくて、日本なりのクリエイティヴを追加するコストは惜しまない方が、日本では売れると思います。


──みんなで作って、みんなで売るということですね。ただ、今ははそういうことが求められている時代に、ゲームに限らず、漫画やアニメや映画など、すべてのコンテンツでそうなりつつある印象がありますが……。任天堂がGDCで「リズム天国」のアメリカ版を配布しましたよね。あのゲームはつんく♂が楽曲を提供していますが、歌詞が全部英語になっているんです。まさにローカライズの見本という感じです。


うっそーっ! そういう仕事してええええ!(笑)

前にも言いましたが、ラチェットに出てくる「コートニー・ギアーズ」のPVで、歌詞を日本語化したことがあるんですよ。ブリトニー・スピアーズのパロディみたいなロボット歌手の英語の歌を、歌詞の意味はほとんど同じなんだけど、オバカ世界にアレンジして。もちろん口パクも合わせて、役者さんに唄ってもらって。その時、こんな楽しい仕事はない! 俺って天才だー! って思ったんですけど(笑)。まさか、他にもやっている人間がいたとは!(笑) あーっ、すばらしい! 私が目指していたのも、それです!


──幸い、DSはリージョンフリーですから(笑)。


ぜひ遊んでみます。

「ラチェット&クランク FUTURE」の「海賊の歌」でも、全年齢向けにするために、いろいろ頭をひねったんです。日本では「ラチェット&クランク」は全年齢ですが、アメリカではEVERYONE 10+(10歳以上対象)で、ちょっと大人っぽい要素もあるんですね。そんな風に日本とアメリカではレーティングの規準や意味合いも違いますから、わかってる人が聞くとエグイなと感じられて、でも子供には楽しいキャッチーワードみたいな、知恵の込められたローカライズ。そういう仕事って楽しいんですよ。そういえば「グランドセフトオート」シリーズを、全年齢でローカライズできないかなって検討したこともありました(笑)。


──それは楽しいですね。


あの楽しさと「濃ゆさ」だけは残しつつ、全然違う世界で。いろいろ頭を捻りましたよ。まあ、結局はローカライズの範囲では無理でしたが。


──ただ、子供が遊ぶと楽しくて、大人が遊ぶとシニカルというのは、いいですね。


そうなんですよ。なんでみんな、やんないんですかねえ。子供に対して、もっともっと、おもしろいゲーム体験をさせてあげればいいのに。そうしたチャレンジが、次の10年、ゲーム業界を伸ばすことになるのに。


(2009年4月13日 都内某所のカラオケボックスにて)/取材・文:小野憲史(kono3478あっとgmail.com)

小野憲史Blog 日々つれづれ 2009-05-22 あるゲーム開発者の「卒業」




 

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